たとえば 自分の中心軸を 現実の世界 表面に現れてくる事実 数字で目の前に突き付けられる事 それらのみに置く場合 何かのことに対して 判断を 決断をすることは 容易なものと なるだろう そして それは よりスピーディーに行なわれる 逆に その中心軸を 現実の世界の中に 在りながらも 水面下の世界 ゆらぎから解放されることの難解な ”心”に置く場合 何らかのことに対して 判断し 決断してゆくことは 非常に 苦しみをともなうものとなり 長い長い時間を要することとなる “判断”する 事象にもよるけれど...と 付け加えなければ ならないが... たとえば その事柄に ”情”というものが 介入してくるとき 自分の心に ゆらぎが起こる さらには そこに ”もしも”という 迷いが現れてくる そうなってくると もう お手上げだ 迷いのループが出来上がる だが これもある意味悪くはないな 完全に 内観の世界だ それについやす ”時間の無駄”にも 意味はある そしてそこに 救いの手を差し伸べてくれるのが ”現実”であり ”数字”であったりもするのかな この両者が 事柄によっては 5:5、7:3、4:6 なんていう様子で 良い意味で バランスをとりながら 一つの”まる”となったときのみ 心が納まる 判断・決断を してゆくことが できるのかな 心の平安を求める意識 現実の安定を求める意識 両者が常に手を取り合っていれば いいのかな むずかしいけど ”希望”はあるよね なーんちゃって...。 なーんちゃって...って、 また迷うのか でも もしかしたら この ”なーんちゃって”の中に 答えがあったりしてね 案外... ね。