”もっと もっと” ここから 生み出される 様々な 悲劇 たとえば 戦争... 天地の理に 添っていない 争い...と 付け加えようか たとえば 自然破壊... これ以上 踏み込んでは いけないという 本来在るべき 境界線... その 感覚... これを ”もっと もっと”が 曇らせてゆく ついには 僅かに 残っている ”良心”さえも もっともらしい ありとあらゆる名目のもとに 流れるように 淘汰されてゆく それは たぶん 私たち人間が ”弱い”から ”安心できない”...から そして 人間の この”まる”の上での 立ち位置の 不安定さ... 自然の中に 身一つで 放り出されたときの 絶対的な弱さを 本能でわかっているから ”足るを知る” 頭では理解していても ”もっと もっと”...が その境界線を どんどん あやふやにしてゆく 自分たちにとって 限りなく 都合のいいように 移し替えてゆく ここから 生じる ”ひずみ”...のようなもの これが ”まる”にとっての ありとあらゆる 悲しみを引き起こす 大きな大きな 自然界... それ...との調和のなかで 便利や楽や 幸せを かしこく 考え 求めてゆけば いい...のに 美しい 大きな”まる”が 完成するのに... ゆるぎない 安定した”まる”が 整うのに... ね 追記 ”もっともっと”...か 私にもある 山のように... どうにかしなければと 思いながら たった一度の 人生では 昇華しきれない だから 人は 転生を繰り返すのかな 何度も 何度も 今度こそは...と 課題を しょって