繭玉

たとえば

目の前にある
大きな壁と

後ろから
追いかけてくる

”何か”に
押しつぶされそうに
なっても

そう
ならずに
踏ん張って
居られるのは

きっと...

自身でも
気付いていない

”何か”が
居てくれるから

たとえば

実感が
ぼんやりだったり

はっきりと
”こうです”と

言い切れるようなもので
無かったとしても

心の奥の
ほんの僅かなスペースに

おそらく
”在る”もの

そこから
出ている

気の
繭玉の
ようなもの

それが

その時々に応じて

精一杯
膨らんでくれて

押しつぶされない
ように
助けて
くれているのか

この

とてつもなく
ありがたいことに

ほんの一瞬でも

”はっ”と
気付くとき

そのとき
たぶん

その
”実感がないもの”に対して

何かを
 視る...ということ

繋がりを
 感じる...ということ
 
フラフラだった
自身に

”力”が
ふつふつと
湧き出てくる

そんな

まるで
カラクリのような

魔法のような
ことって

どうも
在るようだ

その
不思議な
ものが
何なのか

実体は
わからないと
しても

それに
気付けたなら

すっ...と
手を
握って...

握って
みれば
どうかな

それ

いいんじゃ
ないかな

ギフト

整えるということ

気持ちが
下がったり

心が
苦しくなると

無性に
掃除が
したくなる

すると
何故か

心が
落ち着いてくる

意味もなく
嬉しくなってくる

この感覚

たしか
小学生の頃に
気付いたな

その頃は
”なんか
 不思議だな”
くらいだったけど

今では
100%の
自信がある

掃除は人を
幸せにしてくれる

掃除は人を
助けてくれる
よき相棒

人生を
整えてくれる
魔法の
アイテム

しかも

探し物が
見つかる

必要な物と
そうでない物の
判断が
出来るようになる

調子がのってくると

普段は
とてもじゃないけど
出来ないよって
ところまで
ピッカピカ

ついでに
小物類まで
整理整頓

気の流れまで
良くなって

たぶん
ウ・ン・キ まで
上がってきそうな気配

なーんて
オプションまで
付いてくる

”整える”
 ということ

自分で
自分に
お届けする

”ギフト”

みたいだな

フール

この世の中
仮面を
着けていない人って
いるのかな

タロットカードでいう
ゼロ番の
フールのような人って
いるのかな

いるよね きっと

完全無欠の
自由人

あこがれだ

良い人の仮面

優しい人の仮面

ちょっとやそっとじゃ
怒りませんよ
私、器が大きいんですの仮面

強がりの仮面

ほんとは優しいのに悪ぶる仮面

実は能力高いのに
出来ないふりの仮面

数え上げれば
きりがない

もしも
あのとき

アダムとイブが
リンゴを
食べなければ

仮面って存在
無かったのかな

すべては
”エゴ”から
始まったのかな

ここまで
こんがらがった
現代だ

自然体でいるって
難しい
でもその分

奥が深くて
興味深い

すべての 人々が

”自然体”で
”素のまま”で
生きたとしたら

どんな風かな

余計に
こんがらがるのかな

それが
案外
うまーく まとまって
なぜか
バランスよく
まとまっちゃって

良い
感じの
”まる”に
なったりして...

ね。

たとえば

たとえば
自分の中心軸を

現実の世界
表面に現れてくる事実
数字で目の前に突き付けられる事
それらのみに置く場合

何かのことに対して
判断を
決断をすることは

容易なものと
なるだろう

そして それは
よりスピーディーに行なわれる

逆に
その中心軸を

現実の世界の中に
在りながらも

水面下の世界
ゆらぎから解放されることの難解な
”心”に置く場合

何らかのことに対して
判断し
決断してゆくことは

非常に
苦しみをともなうものとなり
長い長い時間を要することとなる

“判断”する
事象にもよるけれど...と
付け加えなければ
ならないが...

たとえば
その事柄に

”情”というものが
介入してくるとき
自分の心に
ゆらぎが起こる

さらには
そこに
”もしも”という
迷いが現れてくる

そうなってくると
もう
お手上げだ

迷いのループが出来上がる

だが
これもある意味悪くはないな

完全に
内観の世界だ

それについやす
”時間の無駄”にも
意味はある

そしてそこに
救いの手を差し伸べてくれるのが
”現実”であり
”数字”であったりもするのかな

この両者が
事柄によっては
5:5、7:3、4:6
なんていう様子で
良い意味で
バランスをとりながら
一つの”まる”となったときのみ

心が納まる
判断・決断を
してゆくことが
できるのかな

心の平安を求める意識
現実の安定を求める意識

両者が常に手を取り合っていれば
いいのかな

むずかしいけど
”希望”はあるよね

なーんちゃって...。

なーんちゃって...って、
また迷うのか

でも
もしかしたら
この
”なーんちゃって”の中に
答えがあったりしてね

案外...
ね。

大好き

悲しみの中にある
よろこび。

よろこびの中にある
せつなさ。

”まる”なのだ
どの曲からも
それが
感じられる。

強さと 弱さ。

儚さと 希望。

融合するときの
自分への
信頼感

心が
納まってゆく

そんな
感じ。

なにか
とても
やさしくて
胸の中で
鈴が
鳴り始める

色が
あふれ出す。

まったく
”ハンサム”な
アートだよ。

ミスチル
大好き。

サムライ

端午の節句
五月人形を目にすると
なぜか
いつも
心に浮かぶのが
宇野昌磨くん
もう
立派な青年であるが
ところどころに
あどけなさの残る
大好きな
フィギュアスケーター
やさしくて
力強くて
粘り強く
努力家で
ところどころで
あらら・・・と
おっちょこちょい感もあるけど
いざとなると
勇猛果敢に戦い抜く
勝負すらも
超えたところで
自分を
表現する 美しさ
何があっても
言い訳しない
潔さ

”サムライ”だな

浅田真央ちゃんや
高橋大輔さんと共に
ほんとうに
大好きな”選手”
であり
大好きな”人”
です

これからも
ますます
その名前のように
さらに 磨いて 自由に のびのびと
喜びに満ちた
福のある
人生を
歩んでください
心から
応援しています。