影を きらわなくて いいんだな 逃げなくて いいんだな 影と 向き合って いいんだな 友達に なって いいんだな そうだよね どうせなら 美しさを求めて 影と 上手く 折り合おう アイシャドーだって そうだよね それ 上手に使って 美しい アートが 出来上がる 光だけを 求めていると ”まる”は なかなか 完成しない だって 生きているんだから お日様 あびて 地に立つと ”当たり前の影”でしょう 歩いていると ついてくる 走っていても ついてくる 必死に 逃げても 追いかけてくる だからさ それで いいんだよ お互い 折り合うことが 大事だな 気が向いたとき そんな時 ”影”をちょっと のぞいてみると その裏側に 今までぜんぜん 気付かなかった ”光”が みえて くるかもしれない ”新しい光”が ...ね。 それ いいよね
ソーランブシ
YouTube 渡りガラスのように 彷徨ってたら バーンと 飛び込んできた ”ソーラン節” 美しいわぁ...やら 日本だわぁ...やら 格好いいわぁ...やら こちらは フィギュアスケートの だい・かなペアで ございます。 まるで忍者みたい 踊りながら 敵をよわせる 忍者みたいだ 大ちゃん黒で かなちゃんが白。 ここにも 陰陽 みつけたわ。 美しい”まる” みつけちゃったわ。 追記 だいちゃん かなちゃん ソーランブシ 観て がぜん 元気が出て ハルとヤマトの 夜のお散歩 わき出してくるように 頭の中で ”ふるさと”の歌 大好きな歌 特に 3番の歌詞が とても好き こころざしを はたして いつの日にか 帰らん 山は あおき 故郷 水は 清き 故郷 何度聴いても 泣けてくる ”ソーランブシ”からの ”ふるさと”か... 原点に かえる...か 日本...だな そうなんだ 日本、なんだ
螺旋
ふと想い出した だいとかな いくつのときだったかな 散歩している途中で 足を止めて 空を見上げると 遠く遠く 2羽の”サギ”が 飛んでいた ...と その二羽の”サギ”から ツーラ ツーラ...と 細い細い 二本の線が 螺旋を描きながら 降ってきた きれいだった 金と銀が まぶされているのかの様に チカチカと 光りながら 降ってきた 思わず 両手を広げて 受け止めたくなるような 美しい 線だった それ 想い出した だいとかな あの子達は ほんとうに 様々なものを 私に 見せてくれた その心に どう 応えてゆけばいいのか 少し 考えてみようか...
繭玉
たとえば 目の前にある 大きな壁と 後ろから 追いかけてくる ”何か”に 押しつぶされそうに なっても そう ならずに 踏ん張って 居られるのは きっと... 自身でも 気付いていない ”何か”が 居てくれるから たとえば 実感が ぼんやりだったり はっきりと ”こうです”と 言い切れるようなもので 無かったとしても 心の奥の ほんの僅かなスペースに おそらく ”在る”もの そこから 出ている 気の 繭玉の ようなもの それが その時々に応じて 精一杯 膨らんでくれて 押しつぶされない ように 助けて くれているのか この とてつもなく ありがたいことに ほんの一瞬でも ”はっ”と 気付くとき そのとき たぶん その ”実感がないもの”に対して 何かを 視る...ということ 繋がりを 感じる...ということ フラフラだった 自身に ”力”が ふつふつと 湧き出てくる そんな まるで カラクリのような 魔法のような ことって どうも 在るようだ その 不思議な ものが 何なのか 実体は わからないと しても それに 気付けたなら すっ...と 手を 握って... 握って みれば どうかな それ いいんじゃ ないかな
ギフト
整えるということ 気持ちが 下がったり 心が 苦しくなると 無性に 掃除が したくなる すると 何故か 心が 落ち着いてくる 意味もなく 嬉しくなってくる この感覚 たしか 小学生の頃に 気付いたな その頃は ”なんか 不思議だな” くらいだったけど 今では 100%の 自信がある 掃除は人を 幸せにしてくれる 掃除は人を 助けてくれる よき相棒 人生を 整えてくれる 魔法の アイテム しかも 探し物が 見つかる 必要な物と そうでない物の 判断が 出来るようになる 調子がのってくると 普段は とてもじゃないけど 出来ないよって ところまで ピッカピカ ついでに 小物類まで 整理整頓 気の流れまで 良くなって たぶん ウ・ン・キ まで 上がってきそうな気配 なーんて オプションまで 付いてくる ”整える” ということ 自分で 自分に お届けする ”ギフト” みたいだな
フール
この世の中 仮面を 着けていない人って いるのかな タロットカードでいう ゼロ番の フールのような人って いるのかな いるよね きっと 完全無欠の 自由人 あこがれだ 良い人の仮面 優しい人の仮面 ちょっとやそっとじゃ 怒りませんよ 私、器が大きいんですの仮面 強がりの仮面 ほんとは優しいのに悪ぶる仮面 実は能力高いのに 出来ないふりの仮面 数え上げれば きりがない もしも あのとき アダムとイブが リンゴを 食べなければ 仮面って存在 無かったのかな すべては ”エゴ”から 始まったのかな ここまで こんがらがった 現代だ 自然体でいるって 難しい でもその分 奥が深くて 興味深い すべての 人々が ”自然体”で ”素のまま”で 生きたとしたら どんな風かな 余計に こんがらがるのかな それが 案外 うまーく まとまって なぜか バランスよく まとまっちゃって 良い 感じの ”まる”に なったりして... ね。
たとえば
たとえば 自分の中心軸を 現実の世界 表面に現れてくる事実 数字で目の前に突き付けられる事 それらのみに置く場合 何かのことに対して 判断を 決断をすることは 容易なものと なるだろう そして それは よりスピーディーに行なわれる 逆に その中心軸を 現実の世界の中に 在りながらも 水面下の世界 ゆらぎから解放されることの難解な ”心”に置く場合 何らかのことに対して 判断し 決断してゆくことは 非常に 苦しみをともなうものとなり 長い長い時間を要することとなる “判断”する 事象にもよるけれど...と 付け加えなければ ならないが... たとえば その事柄に ”情”というものが 介入してくるとき 自分の心に ゆらぎが起こる さらには そこに ”もしも”という 迷いが現れてくる そうなってくると もう お手上げだ 迷いのループが出来上がる だが これもある意味悪くはないな 完全に 内観の世界だ それについやす ”時間の無駄”にも 意味はある そしてそこに 救いの手を差し伸べてくれるのが ”現実”であり ”数字”であったりもするのかな この両者が 事柄によっては 5:5、7:3、4:6 なんていう様子で 良い意味で バランスをとりながら 一つの”まる”となったときのみ 心が納まる 判断・決断を してゆくことが できるのかな 心の平安を求める意識 現実の安定を求める意識 両者が常に手を取り合っていれば いいのかな むずかしいけど ”希望”はあるよね なーんちゃって...。 なーんちゃって...って、 また迷うのか でも もしかしたら この ”なーんちゃって”の中に 答えがあったりしてね 案外... ね。